幼少期から工作が好きでしたので、将来は技術系の仕事をしたいと思っていました。
父が建設関連の仕事をしていたので具体的にイメージをしていたのは大工さんでしたが、その後たまたま読んだ漫画でコンピュータが出てきていて、すっかり電子機器に魅了されていきました。
なので営業の仕事など考えてもいませんでしたが、もう16年です。
その間、いろんな出来事がありましたが、今年もいろいろあります。これが厄年というものなのでしょうかね。
1999年にAFLACの代理店になったのが保険業界への入り口でしたが、その後いろいろな事があり2006年からは損保の方に軸足を移してきました。
辛いことも苦しいことも沢山ありましたが、やはり保険の仕事が好きなので自分なりに研究をしてきましたが未だにハッキリとした答えに至っていないのが損保と生保における営業スタイルの違いです。
ライセンス的には両方の取り扱いができていますが、知識や経験が双方ともに同じレベルなのかというと決してそうではありません。経験豊富なスタッフと共に、補完し合いながら高めていかねばと思っています。
ここ最近の出来事について・・・
説明するという技術やレトリックというよりは、事実として伝えなければいけない部分に加えて、こちら側の事情と想定される事態を全て伝える用意をしつつ、相手のペースに合わせながら1つずつ丁寧に説明していくということが重要だと思います。
自分が説明する立場でありながら、その内容に含まれる「言いたく無い内容」を隠そうとすると辻褄が合わなくなってしまうでしょう。
「言った」「言わない」「書面」のようなキーワードが出てきたら、そこでの議論よりも最初の段階に戻った方が良いような気がします。
とにかく社員を、そして社員の家族を守りたいんだ!という「愛」を語り、社員の成長を心から喜び安堵の表情に溢れた笑みを浮かべ、そして会社経営を強固なものにしていくぞ!という気迫が感じられ、何だかコチラ側が勇気づけられたひとときでした。
私も全力でお手伝いしていきたいと思いますし、きっと他にも多くの方々に応援される企業になることでしょう。
とある営業マンから「伊柳さんは夏男という感じですね」と言われたことがあります。
それ以来、何となく夏の営業は好調のような気がしています。集計はしていませんが・・・
そして、それ以来、彼のような営業マンでありたいと思っています。お客さんが喜ぶ言葉を掛けることと、お客様のペースを尊重すること。
季節も夏らしくなってきました。さて今年はどうかな?
これを唱える人は多いと思いますが、実践できているかというと??なのではないかと。
集中するからには、捨てるものがあります。しかし捨てた瞬間、不安になります。その多くは捨てたことの後悔だと思います。
という具合に、なかなか集中できず身の回りには「不要なモノ」が溢れています。
保険営業という仕事のあり方が昨年から大きく変わっています。私もその影響を受けていますが、脱サラリーマンとは真逆の方向へ進んでいくことになり、個人的な思いはともかく対応していかなければいけません。
もともと人の出入りが激しい業界ではあるのですが、ここにきて更に業界を去る人も増えているのだとか。
従前より代理店同士の合併や買収なども行われていますが、同時に様々な問題も浮上してきています。一番大きなものは「報酬制度」でしょう。次いで「組織形成」していくということでしょうか。そんな訳で、あちらこちらで混乱をしているようです。
時間が無いというのは言い訳だと思っていました。
そしてデキる人というのは、時間を作ることができる!とも思っていましたが・・・
とは言っても1日は24時間ですし、これを増やすのは不可能ですから、いずれ限界がきます。そして、今まさにその限界を感じています。
これまでも時間の限界は何度か乗り越えてきましたから、また何か改善をしていかねばと思うのですが、もしかしたらコレかなというモノが見えてきています。この週末を乗り越えたらチャレンジしてみようかな。
住宅ローンの金利は、単純に考えれば低い方が良いと言えるでしょう。
金利の比較だけであれば簡単です。インターネットでも公開されていますし、金融機関に出向けば分かることです。でも、手続きをしているうちに様々な返済保証サービスを提案され、それに申込をした結果・・・
全体として見た時に金利の割安感は消えてしまう、という話を良く聞きます。良く考えれば、あの金利で金融機関が運用できるはずがありません。
「そんなうまい話がある訳が無い」というのは理解しているつもりでも、状況が異なると判断を誤ってしまうことがありますね。
現場ではいろんな「認識」に出会います。
間違っているなぁと感じる時があるのですが「それは違います」と指摘することはせず、どうしてそういう認識に至ったのかをじっくり考えます。自分の認識が誤っていることも十分にあり得ますので。
知識・経験による信念のようなものを持ちつつ、それを常に磨きつつ、さらにそれを疑う。
そんなイメージです。